帯笑園 その2

昨夜、嵐の中を聴講してきた帯笑園は、20年近く前まで
僕の家の地主でもあった植松本家の中に造園された庭である。



子供の頃は、年の暮れになると
父の使いで地代を納めに伺った事があるが、
こんなに有名な庭園だという事はつい最近まで知らなかった。


昨夜聴講して来てからネットで調べてみたのが、
概略以下の通り。


帯笑園は、同市○○にある豪農植松家の庭園で、
面積約1600平方メートル。


江戸に下る公家・大名などが立ち寄り、
花卉(かき)類や京都文化の交換の場になっていた。


植松氏は16世紀後半にこの場所に居を構え、
開墾や植林を行うとともに、花卉類の収集に努め、
「花町長者」とも呼ばれた。


 居宅にはオモト、マツバラン、サクラソウなどの
植物が集められ、やがて「菊花園」、
または「植松叟花園」とも呼ばれるようになり、
寛政3(1791)年、
儒学者の海保青陵(1755〜1817年)が
「帯笑園」と名付けたという。


 皇室や明治政府の閣僚、圓山応挙やシーボルトらも来園した。


シーボルトは「江戸参符紀行」でこの庭園の豊富な植物について記している。


現在の庭園には、
富士山を望む「望嶽亭」の大きな沓(くつ)脱石、
玉石敷の延段などが残っており、
近代の造園文化の発展に寄与した庭園とされている。
下の写真は「帯笑園」の中と、
過日和真君が描いた「ゴン」のイラスト