坐禅の会

今朝は今年初めての坐禅の会に出掛けた。

元旦の初釜は喪中と言う事もあって意図的に見合わせたが、6日は朝起きれなくて欠席してしまった。

坐禅が終わりお茶席の時に老師から「今年初めてですね」と言われ赤面してしまった。

帰りに老師から毎年恒例となっている色紙をいただいたが、忘れずにいてくれた老師に感激してしまった。

今日からまた大相撲が始まった。

貴景勝の連覇を期待しているが、なんと言っても3横綱が揃って15日を努めて欲しい。
下の写真は老師からいただいた色紙

徳川家康・・・

今日、当市歴史民俗資料館主催による歴民講座が開催され、家内と共に聴講してきた。

今回の講座は江戸時代初期の徳川権力と沼津〜大御所家康、徳川頼信、忠長の時代〜と題して歴史学者の柴裕之先生の話しであった。

1時間半の講義であったが、中々中味の厚い話しばかりで興味深く聴講してきた。

沼津は室町時代から江戸時代初期まで、最初は今川が北条からの攻めの要としての東境目、関ヶ原以降の徳川時代になると徳川関東領国地の西境として重要視されていた様である。

その当時は駿東郡富士郡の一部を河東二群と称し、興国寺城や三枚橋城が統括していたが歴代城主は時代の変遷において常に変わっていったとの事。

聴講者も定員200名一杯になっており、講義終了後の質疑応答も盛んにおこなわれていた。

やはり地元の趨勢に興味を覚えているのは僕らだけではなかった。

ヒッチコックの鳥

今日も1日予定がなく、時間を持て余していた。

仕方なく8日のBS7で8時から放映され録画しておいたアルフレッド・ヒッチコック監督による映画「鳥」を再生して観た。

1963年制作作品につき、既に55年以上が経過しているわけである。

僕が20歳過ぎに観た時にはスクリーンを埋め尽くした鳥(当時はカラスと思っていた)が自分にも襲いかかってくるのではないかと恐怖感でまともにスクリーンを見れなかった記憶がある。

テレビでは日本語で しかも一部カットされていたからか、当時の様な怖さはなかったが、それでも最後までドキドキの連続であった。

ただ、どうして鳥が大量に発生して人間を襲うのか?そして何処へ消え去ったのかはわからないまま映画は終わった。

撮り方によって

昨夜参加した美術サークルにおいて、主宰者からら当市美術協会に所属している数名の方に、美術協会が40周年記念事業の一環として作成した[美翔]と言う図録集が早めに配られた。

会員の一人として僕も昨年の作品「逆さ富士」も挿入されているのだが自分の作品がこんなにも綺麗に鮮明に印刷されているのを見て
我ながら自画自賛してしまった。

写真の撮り方によって作品がこんなにも映えるものだなと嬉しい感じた。

今年初めての・・・9

暖かい日が続いている。

お陰で心配していた風邪も大事には至らず、知らぬ間に消え去ってくれた。

とは言うものの朝のウォーキングには、しっかり防寒対策をして出掛けるも手足の冷たさは防ぎようがなく、帰って来てからの入浴でかじかんだ指を伸ばしている始末である。

こんばんは今年初めてのスケッチ会に参加して来る。

11、12月は都合で出席していなかっただけに、気後れ気分だが、早めに出かけて挨拶周りから始めて来たい。

お台場で中華料理を

夜は実家に里帰りしていたお嫁さんとユイちゃんと大井町駅で合流。

そのまま、長女が予約しておいたお台場の京県楼と言う中華料理店に7人で直行。

ビルのデッキからベイブリッジの夜景が鮮やかに映えて見える等、高級感溢れるお店だった。

ユイちゃんが大好きな小籠包やエビチリ等を美味しくいただいてきた。

その後、長女が新しく移ったマンションに寄った。

2LDK瀟洒な住まいは快適そのものと言う。

22時前にマンションを出て一路家路を急いだが、運転する長男には申し訳ないが、半分は寝ていた。

1時間40分と24時前には我が家に着いたが、今朝は起きられず ウォーキングや坐禅の会はお休みした。

新国立競技場

朝6時に長男の運転で東名高速道路首都高速道路を使って上野の森美術館に何と8時前に着いた。

1時間待って会場に入ったが、長い行列はなく愕然とした。会場に入って何故少ないのかよくわかった。

フェルメール展と言っも彼の作品は8品しか展示されていなかった。

[耳飾りの女]が展示されておらず、家内はガッカリ気落ちしていた。

その後、長女へのマンション移転のお祝いを、買いに上野→新宿→池袋→大井町へと周り、ビッグカメラや山田電気等を見て、加湿空気清浄機を買ってあげた。

途中、車を工事中の新国立競技場に回して貰うよう頼んだ。

一周グルリと回ったが、高い塀が邪魔していたが、念願の新国立競技場を見れただけで満足だった。