三十三間堂棟木由来

昨日のブログに稲名さんからコメントがされた。


稲名さん朝早くから席取りお疲れ様でした。
また功太郎君の陸上応援の合間にラクビーをやっている
高校生のご子息の応援と一日大変でしたね。
(稲名さんのFacebookに「いいね!」と書き込みました。)


先週の金曜日Eテレで放送した文楽人形「三十三間堂棟木由来」をビデオ録画しておいた。


今朝方これを再生して観た。


これは僕が35年前に文楽に接した記念すべき第一作で、
本社出張した時に当時 僕を可愛がってくれていたМ専務が
東京国立劇場で越路太夫吉田玉男のコンビで上演していたこの演目を
観せに連れて行ってくれたもので、これ以来文楽の魅力に取りつかれ
何度も公演を観に行ったりテレビ観戦していた。


この三十三間堂・・のあらすじをネットから引用して紹介する。


白河法皇は熊野山中の柳の木の梢に前生の髑髏がかかっており、風が吹く度に頭痛を起こされていた。
法皇の病気平癒祈願のため、その木を棟木として卅三間堂を建立する事になった。
この柳は五年前に季仲の鷹狩りの際、鷹の足緒がからまって切られかかったところ、平太郎の一矢で免れた木である。
恩返しのために人の姿となった柳の精お柳は平太郎の妻になり、緑丸という子を設けていた。
柳の木を切る音が聞こえる。
お柳は苦しみに堪えつつ平太郎に身の上を明かし、法皇の前生の髑髏を渡すと、これを手柄として出世するように言い残して消えて行った。
街道では柳の木を切って運ぼうとしたところ突然動かなくなり難渋していたが、緑丸を連れた平太郎が是非綱を引かせてほしいと頼む。
平太郎の木遣音頭で緑丸が綱を引くと、柳は易々と動くのだった。


特に女房お柳が化身する場面と、最後の木遣音頭の場は圧巻で今も鮮明に残っている。


今回、吉田蓑助がお柳を遣っていたが、流石に人間国宝に認定されているだけに
一つ一つの所作を見事に遣っていた。


機会があったら是非ご覧になる事をお奨めする。